黒田博樹とは?
黒田博樹は広島東洋カープとMLBのロサンゼルスドジャーズとニューヨークヤンキースで活躍した元野球選手で、日米通算勝利数は先発勝利数だけで公式戦200勝を達成し、NPBとMLBの40球団から勝利を挙げています。黒田は自身を育ててくれた広島東洋カープに恩返しするために、海外からの高額オファーを断り、2014年のシーズンオフに古巣の広島東洋カープに復帰し、世界中に感動を与えています。
黒田博樹のプロフィール
氏名 | 黒田博樹 |
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くろだひろき | |
生年月日 | 1975年2月10日 |
出身地 | 大阪府大阪市 |
身長・体重 | 185cm/95kg |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
所属チーム | 広島東洋カープ (1997 - 2007) |
ロサンゼルス・ドジャース (2008 - 2011) | |
ニューヨーク・ヤンキース (2012 - 2014) | |
広島東洋カープ (2015 - 2016) | |
受賞成績 | 最優秀投手:2005年 |
最多勝利:2005年 | |
ベストナイン:2005年 | |
ゴールデングラブ賞:2005年 | |
最優秀防御率:2006年 | |
スピードアップ賞: 2006年 |
黒田博樹は大学まで無名の選手で、高校時代は控え投手で不遇の時代でしたが、専修大学に入学するとチームの東都大学野球1部リーグ昇格に貢献し、1996年にドラフト逆指名2位で広島東洋カープに入団しました。MLB時代は球団側からは複数年契約を掲示されても、自身を追い込むために単年契約にこだわっていました。
黒田博樹の座右の銘
雪に耐えて梅花麗し
黒田博樹の座右の銘は雪に耐えて梅花麗しで西郷隆盛の漢詩の一部です。厳しい雪の寒さに耐えてこそ、梅の花は美しく咲くことから、人間も多くの困難を経験してこそ大きなことを成し遂げられる意味があり、彼は高校時代に感銘を受けています。
彼は高校時代に不遇の時期を過ごし野球の道をあきらめかけましたが、座右の銘を心に留め、諦めないでトレーニングを積み、MLBでも活躍する選手となり、座右の銘を体現しています。
彼は高校時代に不遇の時期を過ごし野球の道をあきらめかけましたが、座右の銘を心に留め、諦めないでトレーニングを積み、MLBでも活躍する選手となり、座右の銘を体現しています。
黒田博樹の名言35選
黒田博樹の名言は、自身の選択やチャレンジに対する前向きな言葉や大成するための努力と下積みの重要性を訴えるかっこいい言葉が多く、黒田選手の男気を感じさせます。彼の名言は、挫けそうな時に気持ちを奮い立たせ、新しい挑戦や仕事や恋愛で重要な決断を下す時に新たな1歩を踏み出すための勇気を与えてくれます。
NPB時代の名言
ジャイアンツはいつの時代もいいメンバーが揃っているので、投げるのも大変です。でもその分、倒し甲斐のあるチームだと思っていますし、自分もジャイアンツと戦うことで育ててもらったというか、大きくさせてもらった部分があると思いますから、今年も同じ気持ちで投げたいと思います。
アメリカン・リーグの東地区の球場はヒッターズ・パーク(バッター有利の狭い球場)ばかりだったので、そういう部分ではメジャーの方が大変でしたし、もともと僕がいたカープは広島市民球場でしたから。あの狭い球場を経験しているので、そういう意味では、広島のマツダスタジアムができて広くなったというのは、自分にとっては大きいんじゃないかなと思っています。
僕らは市民球場でまったくお客さんが入らない時代も、万年Bクラスの時代も知っています。誤解して欲しくないんですが、カープは今はすごくプロ野球のチームっぽくなった。もちろん、いい意味で。
カープに入って本気で野球に取り組んだのは4年目から
広島という環境が僕を育ててくれた
カープで優勝することが、自分のこれからの野球人生の中で高いモチベーションになるんじゃないかな?というのが一番だったと思います。
日本に帰るならカープ
最後はカープでユニホームを脱ぎたい
黒田博樹選手が発した、広島という環境が僕を育ててくれた、日本に帰るならカープ、最後はカープでユニホームを脱ぎたい。の名言の裏には、無名だった彼の素質を他球団よりもいち早く見つけ出し、ルーキーイヤーにはプロの壁に苦しみながらも、じっくりと育て上げてくれたチームに対する強い恩義と感謝の気持ちを感じさせます。彼の男気が伝わってくるかっこいい名言です。